
親のことがあり、生きること、死ぬことについて考える時間が増えている。
自分自身の”生きる”も考えなくてはいけない。そんな折だからか、命に係わる情報がグングン集まってくる。
そして、あまり心地が良いものではない情報もあったりする。例えば、小さなころ遊んでいた近所の先輩後輩計2名、ここ数年で家族を残して自らこの世を去ったことを知った。
時期を同じくして、同じフードデリバリーの配達員をしている人が亡くなったことを知った。理由は特に述べられてはないが、事故なら事故として見た人が出てくるのがこの仕事の常なので、それが出てこないって事は…と察している。
つくづく”ただ生きる”だけでも実は難易度が高いし偉業なんじゃないか?と思っている。そして、だからこそ生きる難易度を上げすぎないこと、むしろ下げることこそが生きる上では大切なんじゃないかな?と感じている。
生きるのが難しいと感じさせる要因
人間には必ず欠陥がある
まずそもそもとして、人間には必ず欠陥がある。
だから天変地異が起きた時に全滅を避けることができるのだという、種の存続のためにあえて欠陥が設計されているとする考えもある。なんにせよ、人間には欠陥が必ずある。
でもその欠陥が集団生活に不適格だとなり、それが生きにくさに繋がっていることもある。
例えば、時間にルーズだと集団生活には不適格だけど、同じ時間に同じように集まらないことで助かるパターンもあるので、種の保存という本能的設計から見れば時間通りに集まらなくても問題はないはず。
でも、集団で見れば1つになれないなら不要だとする価値観があるのも事実。
そんな感じで全ての人に何らかの欠陥があり、それにはそれなりの理由がちゃんとあるはずなんだけど、世間は集団生活に適応できない人を許さない。
欠陥を選んで身につけたわけじゃないのに、その欠陥によって場合によっては世間からつまはじきにされるという理不尽が初期設定されているのが人生だと言える。
評判や評価に左右される
上記の話とも関係しているけど、評価や評判が生きる難度を左右する事が多い。なぜなら、たいていの場合は他者評価によって自身の価値が決まる事が多いから。
どれだけ勉強を頑張ってきたとしても、テストの点数が低いならテストの点数通りの評価や評判になる。基本的に努力はそれほど重視されない。後程何らかのタイミングで努力を評価されることがあるとしても、必ず結果と紐づけて評価されるはず。
結果という客観的な成績によって他人が評価することで、初めて自身の価値として反映される。実際は本人としては以前も今も何も変わってなくても、他人の評価次第で自身の価値が左右される。
でも他人が自分の何をどのように評価するのかを完全にはコントロールできない。完全にはコントロールできないのに、自身の価値は他人が決める。主導権が自分にあるようで自分にない。
これもまた生きることの難しさに繋がっているとも思う。
頑張っても報われない事が多い
これも先ほどの話と関連するけど、努力をしたところで結果がでるという保証はない。頑張れば報われる、成功には努力は不可欠とする意見も多々あるが、頑張れば報われる保証はないというのがまた残酷なところ。
頑張っても報われないことがある。でも頑張らなければ自身の価値を高められない。でも頑張っても報われないかもしれない。この無理問答のような難題が人生の難易度そのものだとも思う。
もうこの世に居ない先輩は、自身の性癖が治らないことに絶望した。後輩は先生としてのストレスとプレッシャーに耐えきれなかった。
二人とも何とかしようとしたけど報われずに絶望した。努力が報われるなら、そういう結果にならずに済んだ可能性はあるが、人間はそうは設計されていないんよね…。
むしろ努力が報われないこともあるのだという前提に立ち、割り切ってしまったほうがよかったんじゃないかな?ともう遅いけど思わなくもない。
生きているだけで合格点
あくまで上記のこれらは現時点での意見ではあるけど、思うようにいかないように人生は出来ている。その中で高い目標を実現することをさらに求められている気もしないでもない。
例えば、一人の人と添い遂げる事が理想形だとする家族観のようなものが形成されているが、これって人間という動物の本能を土台にすると、とても難しい事だと思う。
親子のような血のつながりがある関係性でもずっとお互いをいたわり続けることが難しいのに、ましてや他人、しかも本能を理性でねじ伏せる生涯を送れてこそ標準だとなると、80%の人は不合格になるはず。
恋愛や結婚に限らず、仕事だ友達だという部分も含め始めると、現代は生きる難易度がかなり高いと感じなくもない。
その”生きる難易度の高さ”に自分を合わせることだけが正解じゃないというか。
その基準を下げても良いと割り切って生きることが案外大切なんじゃないかな?と思う。
生きているだけでOKなんだよってぐらいに低くてもいいんじゃないかな?
なぜなら、本人ではどうしようもできない部分に人生は案外左右されてしまうからね。欠陥はあるし、評価や評判は思うようにならないし、努力も報われないし。
でも、一般的に理想とされる人生は、それらがすべて思い通りになることが根底にあるように感じるんよな…。そこに自分の水準を置くと、生きる事は難しくて当然だと思う。
生きてるだけでも難易度が高いかもしれない世の中なんだから、どうであれ生きているだけでもう合格点なんじゃないかな…。
そんなことを先輩や後輩や、顔も知らない配達員の訃報に触れて思った。